JA1KK 武井 永
思えば創立から半世紀以上経っていて資料は僅かしか残ってなく、私の記憶も薄れてきています。
手元には会報第1号と2号があります。これも何号まで発行されたか定かではありません。
1号は1954年8月発行なのでクラブの創立の会合日は7月でその第2土曜日と思われます。何故なら会報にミーティングは第2土曜日にすると定めてあるからです。場所は杉並区の井荻会館で地蔵坂にあり現存しています。
私は誘われて会合に参加したので創立までの経緯はわかりません。
会報を見るとオンエアーミーティングは毎土曜日2200で周波数は7087,5Kcです。深夜族が多かったこと、7MHzがまだスポットでバンドになっていないことが分かります。
当時はJARLが支部を作り下部組織としてクラブの活用を考えているときでした。武蔵野クラブではJARLに登録するかどうかが議論されたようです。
武蔵野クラブは取りあえずJA1AO森正樹氏を仮の会長として発足しましたが会報2号では正式に決定したとあります。
それ以後、会長はJA1PK、JA1KA、JA1KKと引き継がれていきます。
メンバーは会報1号では42人(下記)、1954年12月発行の2号では整理して33人になっています。
メンバー(すべてJA1なのでサフィックスのみ)
AK AO AP AR BT
CC CU CZ EV FC FK FP GM GN
GT
HK JL KA KK MX PK QP
RH SX UC UF UI UY ABN ACG
ACK ACX ADZ AEB AEH AEQ AHN AHV
ほかにSWL4局
会報第2号では次のことがニュースです。
@ JA1AOを正式に会長とする。
A JARLの所属クラブになった。
B JA1PK阿部氏がJARL委員、渉外係になった。
C 3,5MHcと7MHcが11月27日からバンド開放になった。
D JA1WがJAφに、JA2WがJA9に変更になった。
E MARC賞を発行する。内容はこれから具体化する。
その後決まった内容は、1エリアを除く全9エリアから1局ずつと最初と最後を武蔵野クラブ局とした11局の交信時間が最短のものに賞を贈るというものでした。
ずっと後のことになりますがクラブ局 JA1YSWは、1966年7月23日に開局しました。
この資料は今後も調査を進めて補正追加する予定です。
以上