資料室:真空管のぬくもり(OM昔話) 〜OM寄稿集〜

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武蔵野クラブには、戦後のアマチュア無線復興当時から活躍されているOMさんが多く所属しています。OMさんたちとアイボールQSO(直接会ってお話しすること)をすると、お空では聞く事が出来ない昔話が、どんどん飛び出してきます。そんな貴重なお話しを「真空管のぬくもり」と題して記録に残せないか、 2010年の忘年会での、JR1QVY局の発案で、この企画を始めることになりました。

OM各局からのお話しを、少しずつ、ここに記録していく予定です。


企画:JR1QVY イメージ写真:JA1AUC

JA0ED 「旧電波研 標準電波送信所 (JJY)」  (2013年06月26日 掲載) 

Re: [MARC-2][09098] 40kHz-JJY でupした旧電波研 標準電波送信所 (JJY) の写真を、ようやく古いアルバムから見つけました。関連[09098, 09106]

(当時写真:JJY送信ANTマスト)

(当時写真:正面近接)
→(近影:北高2)
 旧郵政省 電波研究所 標準電波部は1978年3月まで運用。写真から、正面扉の掲示には "本地は国有地に付き立入りを禁止いたします。関東財務局立川出張所" と読め、門には表札を掛けた跡が解ります。
 撮影当時(1978年6月)は、この敷地隣のアパートに引っ越したばかりでした。このアパートは関東財務局の管轄で、当時の入居者は電波研の職員が主で、他に学芸大、農工大の職員が入居していたと思います。アパートの建物の間にLong Wire が張って有り、ハムの方が居られた様ですが Call までは調べませんでした。小金井からのJJY送信は止まった位の認識でしたから、写真は3枚程の撮影だったようで、出来もよくありません。もっと良く、また内部も撮らしてもらえば良かったのにと思いますが後の祭りです。

 跡地は都立小金井北高等学校になりました。 高校の沿革に依りますと、名称は 東京都立小金井北高等学校。昭和55年12月校舎竣工、昭和56年1月より授業開始。 建設当時、高校の後は病院にするという説明が為されていたように記憶しています。当時より少子化のことが考えられていたことになります。昭和55年は1980年ですからJJY 停波後すぐに工事が始まったことになります。

(当時写真:電波研正面の遠景)
→(近影:北高1)
 写真(北高1)は、電波研正面の遠景、(北高2)は正面近接です。 現在写真の材木置き場は無く、JJY送信ANTマストは写真で解るように電柱を繋いだモノで、昇降用の足場が見られます。ステーは写真から3段3方向、もう一本のアンテナ柱から判断すると2本つなぎと思われます。アンテナ柱は2本なのか3本なのかは写真からは解りません。左下に局舎の屋根が見えています。
また現在の敷地から考えると、国の施設としては以外に小さい敷地(アンテナ用地)の様に思えます。電波や電子技術の重要性が認識されていなかったか、はたまた郵政省に力が無かったのか、解りません ---

JA0ED/ JL1HAN T. Nishisaka


JH1XEC 「進駐軍放送局物語」  (2011年08月27日 掲載) 

内幸町にあった放送会館が米軍に半分接収され、第二放送をWVTRとして放送していた時代のWVTRとRADIO TOKYOの看板が掛かっています。昭和27年頃、私はVの字の下の正面玄関を入ったすぐ右の部屋に勤務していました。ラジオ屋になった出発点です。

詳細は、「進駐軍放送局物語」へのリンクを参照してください。

写真をクリックすると、拡大されます。(65KB)

写真:JH1XEC


JA1FY 「私とアマチュア無線」 


JA1AUC 「7Mc〜7MHz」  (2011年05月23日 掲載) 

試験電波発射届を提出し、私が初めて電波を出したのは、1955年4月2日23時05分、電波型式A3、周波数7080KC、それに応えて30KC下の7050KCで呼んで来た今は亡き懐かしいJA1QP 石橋さんであった。私は三鷹市、終段 UY−807入力16W、石橋さんは 終段 UZ−42入力5Wで練馬区からで互いに59−59と当時のログに記されている。

当時の7メガは混信が可なり有ったと記憶しているが、それでも周波数が異なったQSOは普通に行はれていた。CQを出して同じ周波数で呼び出しが無い時、受信機のダイヤルを回すと離れた処で呼んでくる場合がしばしばあり現在思うと のどか だったと思う。当時多くは二級局で皆7メガを使って出力10WのAM電波で全国と交信していた。

送信機を作るに先だってグリッドデップメーターを作ったが受信機で校正するとスーパー受信機のイメージ周波数だの高調波だのアチコチでピーピーご本尊がどれかなかなか判別出来なかった。

開局当時のシャックはオールGT管の高周波増幅1段、中間周波増幅2段スーパーヘテロダイン式10球受信機。送信機はFT−243型水晶、3540KC 7010KCの2波であり、7080KCは2倍発信であった。発信管6AG7、終段増幅管UY−807シングル、プレート電圧400V。変調機は クリスタルマイク 終段管UY−807プッシュプル、電源整流管UX−5Z3 2本。ファラディリンク結合からアンテナ整合機、長さ10mの竹竿、水平部20m全長30m、2ミリ銅線の逆Lアンテナ。

写真の黒色パネルが受信機、左が送信機電源、その上が変調機、左下のスナップスイッチがスタンバイスイッチ、写真では受信状態、上にすると送信、セレン整流器で整流し4個のカニ型リレーでガチャンガチャンと送信、受信を切り替えていた。

もしも今、浦島太郎が開けた玉手箱のふたを閉めたとしたら、7MHZのSSBは聞えず、7MCのAMが聞えるかも知れない。

2011年5月23日   JA1AUC
(じい様の寝言をお聞き戴き誠に有難うございます)

写真をクリックすると、拡大されます。(256KB)

写真:JA1AUC



更新:2013年06月26日22:50